2016年05月04日
暇でございます
一年中日曜日、リタイヤ後の訪問演奏も友人が増えて最近はいつも6人で・・
老人施設も訪問家族が訪れてそれなりに落ち着かないでしょう。
結局演奏活動も一休み。
我が家の子どもたちもそれぞれ子ども(孫)と一緒に遊びに行った。
結局老夫婦は取り残されてだらだら生活が続きます。
しかし普段取り残したことをここぞ整理始めるや結局疲れて昼寝三昧。
「寝すぎは返って好くないぞ」と言い聞かせ、思い直してまた続きを始める。
そんな毎日のゴールデンウィーク。
2016年05月02日
木綿のハンカチーフ
これは使いやすい・・・
去年の夏、孫のテニス観戦に嫁の母親がくれたもの
ハンカチ代わりに今も使っています。
本題に戻って太田裕美が歌った「木綿のハンカチーフ」のサウンドを作り始めました。
オカリナ伴奏用(マイナスワンだからカラオケにも使えます・・)
訪問演奏の施設も少しずつ世代が変わる。
こんな曲もリバイバルとして受け入れてくれるでしょう・・
ゴールデンウィークは音作りに専念します。
モクレン・さくら・ハナミズキ
数年前から時の移り変わりの詩を書きたいと、そんなタイトルだけ決めたけど
中身がなかなか決まらない・・・
どういうわけかある年齢の時、モクレンが目に入った。
あの白い花何ていうんだろう?それがモクレンとわかったのは数日後のことであった。
そしてつぼみのころ一斉に北を向いているとも・・
なぜ北を向くのかそれは日の光を腹部に呼び込んで成長するためとわかった。
コンパスが無かった昔、方向を見定める旅人がモクレンを頼りに東西南北を知ったに違いないと考えながら・・
自然の摂理は好く出来ていると感心もした。
モクレンが散ってさくらの出番
優雅でにぎやかなさくらの季節。
同時に春の嵐の季節でもある
好い事と悪い事は同時にやってくる好い例ではなかろうか・・・
さくらが過ぎてハナミズキ
提灯がよく似合うこの木
時に夏日も時々顔出して
季節は順に過ぎてゆく
2016年03月07日
何とかペースを取り戻した
そのショックか?体調不良に加えて眼の疾病が発覚した。
視力が異常を感じたのは車の運転のときである。
見えることは見えるが乱視が進んだような気がしていまいちスッキリしないのだ。半年前に眼鏡を作ったばかりなのだが、乱視が進んだのかと思って視力を測ったら右目の視力が極端に下がって0.3と言われた。
すぐかかりつけの医者へ行って検査したら群大附属病院を紹介された。そして横斑円孔で手術が必要と言われた。
医学の進歩が目覚ましいので「手術といっても大したことはないだろう」と高をくくっていたが、結局一週間の入院になった。
「・・・」
横斑円孔というのは横斑の中心部に穴が開く病気で加齢から来る病気だそうである。
2015年11月22日
おさぼり状態
今日は御本仏大聖人のご入滅を祝うお会式である
我が常行寺において14:00から行われる。
日ごろの怠慢と過去遠々劫の罪障消滅の祈りと御報恩の誠を心ゆくまで尽くして来ます。
その苦しさにアップアップしてついに一念発起と言いたいが、
どこまでも惰眠をむさぼる自分は自信が無い
お会式の御本仏に活を入れられて再出発の日にします。
2015年10月31日
名演奏に出会いましたYouTube
Wynton Marsalis " #Jazz in Marciac " HD
トランペットの演奏に聴き入って結局最後まで・・
今頃燃えてきた・・
他人より40年くらい遅れてる私・・(根拠は無いなんとなくそんな感じ)
名演奏にやっと目覚めました。
最近はユーチューブの古い名演奏にはまっています。
現役のころはデキシーが嫌いで嫌々やっていたがこのようなゴキゲンな演奏を聴くと自分の愚かさに気がつきました。
これからは善きリスナーとして癒されていきます
ソプラノサックスのサマータイム・・いいね(演奏オヤジの顔ゴキゲン
2015年10月22日
「永遠の眠り」はない
かって私の尊敬する住職が「死んだら又すぐ生まれ変わるから安心しろ」と言った。 はなはだ乱暴な言い方であったがそれを聞いて安心した。
別にその時死期を感じていたわけではなかったが「そういうものかもしれない」という安堵感で満たされた。
私は思う。昨日・今日・明日とあるように、永遠の眠りというのは無いのだ。それどころか生死生死を繰り返して永遠に続いて行くというのが本当の姿である。
死ぬことを眠りということ自体否定するつもりはないが、死というのは生命活動の休憩時間と思っている。
昨日今日明日と同様に、人間の一生も過去世・現世・来世を繰り返し永遠に流転していくものであると信じている。
私流にいえば永遠の眠りではなく来世へ向かって「死=休憩」ということである。 人間をはじめすべての衆生は生死生死を繰り返し永遠に続くというのが仏の教えである。死というの大宇宙の生命体へ己の我の冥伏期であって無くなったわけではない。
冥伏(溶け込んで一体となった)したのだ、そのことを人によって様々な言い方をするわけだ。たとえば生命・魂・霊・心・我とかいろいろな言い方で消えたと・・・
宇宙に冥伏した我というものが本来あって(本有常住)、死と現れた生命体(我または魂、生命、霊魂)が己の死の状態である。そしてなにかしらの機縁に依って又生命活動と現れるのが生であって己の生命は死と生の二元論なのである。
生を仏法では因縁仮和合・・因と縁が仮に和合した姿を生という。
そしてこの世界の存在は一神教(キリスト教とかイスラム教)の様に天地創造の神が作ったというものではないのである。
想像できないほどの巨大空間(=三千大千世界)と巨大な時間の流れの中の過去遠々劫から元々あったのが衆生の存在なのである。そしてそれはまた未来永劫に続いて行くものであると・・すなわち元々あったもの(有るもの)が生と現れ、死と現れるのを繰り返すというわけだ。永遠の死などと言って全くこの世から消え失せてしまうものではないのです。それを信じるか信じないかで生き方が変わる。
およそこの世は因果応報という以上、今日の続きが明日であるなら今日の行いが因で明日の事実が果である。同時に今世の行体が来世を決定するといっても過言ではないのである。
このことが信じられれば今世をしっかり生きて来世につなげるという考え方が出てくるのである。
同様に「死ぬまで勉強」という考え方も、来世に続く今世が理解できれば納得できる考え方だと思う。
2015年10月18日
近づくな 道理にそむけば 地獄行き!
虚栄心は名聞名利。
過度の虚栄心は道理を軽視する。その結果地獄行きは必定!
適度の虚栄心はバランスを保つ。虚栄心は修羅の心、誰にも在って地獄へ誘う。
修羅は「私はナンバーワン」というおぞましい心。
修羅を凌駕する心それは菩薩界。
2015年10月16日
活動開始10年目
脳出血でリハビリのためと思ってオカリナを始めたのが57歳でした。
現在68歳。一年以上は基礎を勉強したが、昔バンド生活をやっていたので音楽への復帰は早かった。
当時の悩みながら苦しみながらやっていたことが役に立って。
時には先生とまで言わちゃって、そんな時「先生と言われるバカでなし」なんて言って茶化していますが 、教えて下さいと言われることもあります。
そんなわけでボランティアの傍らカルチャーセンターを二か所2年ほどやりました。他にサークル活動の講師ですかね・・
最近ユ―チューブも盛んになって友人から「投稿したら?」と勧められることもあります。しかし相も変わらずヘタクソだから自信がありません。また練習不足に加えて寄る年波のせいか体が硬くなってきたことを感じます。そんなわけで自分の演奏を試しに録画しました。
結果、思ってた以上下手なので少し練習して自信ついたら、ブログに載せようと思います。
2015年10月08日
ノーベル街道をドライブします
(ヤフーニュースから引用) ↓
<ノーベル街道>富山〜高山の国道41号 続出する受賞者
ノーベル物理学賞の受賞が決まった梶田隆章・東京大宇宙線研究所長(56)の自宅近くを通る国道41号の富山市から岐阜県高山市までの区間約90キロは、歴代のノーベル賞日本人受賞者とゆかりが深いことから「ノーベル街道」と呼ばれている。富山県はホームページで紹介するなどしてPRしてきた。(毎日新聞)
[記事全文]
というわけでこの秋紅葉狩りを兼ねてドライブへ行ってきます。
適当な場所を探してオカリナを吹いてきます。
自然の下でのオカリナの演奏は気持ち良いですよ〜
こんなのもありました。
ぶり・ノーベル街道ウオークツアー2015参加者募集!!→https://www.kp-kikaku.jp/?tid=100344&
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